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| 昭和八年七月 武生史談会 発行 平成七年七月 武生立葵会 再発行 |
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| はしがき (前略) 「府中全町家順記」の原本は、嘉永四年頃、岳父長尾権左衛門の祖先が府中町代役用につかったもので、これを詳細に点検すると、当年市坊の区画・住宅の順位・家中町の配置など、それからそれへと、旧府中のいろいろの情況を物語って、興味津々として其尽きるところを知らぬやうになる。若し、此家順を現在の市坊と比較すると、僅々八十三年間に、旧家の没落・新人の勃興・市坊の盛衰・産業の消長などが窺はれて、其中から吾人に幾多の反省と警告を与へてくれる。要は勤倹産に治むる者は永く栄え、荒怠奢を窮むる者は暫くにして衰へること、古来聖賢の訓に洩れた例はない。 やがて、市制を施行しようとする今の武生は、古来丹生・南條・今立三郡の要衝に当り商工業地として重きをなしてゐるだけ、家産の盛衰尤も劇しく、朝に家を興して夕に産を破り往々主僕其位を異にする輩もある。いかに子孫の為に美田を買うて槿花一朝の栄を誇っても、徳なき者は徒に子孫を愚にするのみである。財を積む前に先ず「人になれ」、財を積む前に先ず「人を作れ」、これが何より急務であると思ふ。 (後略) 昭和八年七月 石橋重吉 識 |
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