まちづくりNPO ラピュタ創造研究所
連載  太介不乃己不をさがせ!

(3)武生の名付け親

    

神門酔生著「武生藩史」第二冊 お部屋様騒動(橋本左内売渡始末根元記)に、「北岡随川は、天保九年六月頃、府中にやってきた故実家で、しばらく下馬場の弁天さんの、向って西隣りにある、御用人上坂平左ヱ門方に逗留して、諸家の系譜などを訂しておりましたが、包み金の大小によっては、出放題な事を書きまくる男でありますから、旅から旅の系図屋に異なる所はありません。

只、竹生催馬楽の故実を伝えて、府中の古名を認識させ、明治二年十一月二十日、府中を太介布に改称させた因縁ずくが、功績と云えば功績であったかと思われます。」とある。彼は以前岩倉三位卿に仕えていたが、幕末の府中では福井藩中根雪江のスパイであったとも書かれている。これが事実だとすると、この北岡随川も相当怪しいインテリゲンチャーだったことになる。