原歌 見知乃久知 太介不乃己不尓 和礼波安利止 於也尓万宇之太戸 己々呂安比乃加世也 左支无太知也
読み ミチノクチ タケフノコフニ ワレハアリト オヤニモウシタベ ココロアヒノカゼヤ サキンダチヤ
読み 道の口 武生の國府に 我はありと 親に申したべ 心あひの風や さ公達や
解釈@ 越前の 武生の国府に 私はいます………
解釈A (敦賀郡)道の口の 武生の古府に 私はいます………
明治以降の武生は、この催馬楽(さいばら)の歌謡を根拠に名付けられたものである。この歌謡の「道の口」の解釈と、それに続く「武生」が古代敦賀域にあったか古代武生域にあったかの判断で、初期越前の国府が「敦賀にあった」VS「武生にあった」の論争が起こっている。
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解釈@ 武生説 (従来の解釈)
「道の口」とは、「越前」を意味する。「越前」のことを「越のミチノクチ」、「越中」のことを「越のミチノナカ」、「越後」のことを「越のミチノシリ」と『和名類聚抄』にある。「越の」は省略されているものの、この歌謡の「道の口」は、「越前」を意味している。続く、「武生」は当然、現在の武生旧市街地のことである。 |
解釈A 敦賀説 (水野和雄氏による新説)
「道の口」とは敦賀に現存する「道口」集落のことである。
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また、嘉永年間(1848〜1854)に書かれた『敦賀志』に「長沢・古田苅・堂村・鳩原・吉河・阪下・道口・小河」を「武生郷」と記されており、歌謡の「道の口」に続く「武生」とはこの「武生郷」のことを指している。さらに、「己不」は「国府」でなく「古府」である。歌謡の解釈は、「敦賀の道口の武生にかってあった古国府(古府)に私はいます...」となる。
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